天安門で中華人民共和国の建国

1949年10月1日に天安門で中華人民共和国の建国を宣言した。

なお、蒋介石率いる国民党政府は台湾島に移った。

同年には、建国後も軍事援助を続けていたソビエト連邦を訪れ、ヨシフ・スターリンと会見している。

その後に勃発した朝鮮戦争では、ソビエト連邦とともに北朝鮮を支持して中国人民志願軍を派遣。

この戦争で、長男の毛岸英を国連軍の一国であるアメリカ空軍の爆撃で失っている。

建国後は国家主席として階級を撤廃した共産主義社会の建設に力を注ぐが、1956年の「百花斉放百家争鳴」運動で、多くの知識人から硬直した政策を批判されたため、これを弾圧するために1957年6月に反右派闘争を開始し、少なくとも全国で50万人以上を失脚させ投獄した。

さらに「イギリスを15年以内に追い越す」ことを目標とし、1958年に大躍進政策を発動。

大量の鉄増産のため、農村での人海戦術に頼る「土法高炉」と呼ばれる原始的な製造法による小規模分散生産を採用し、量のみを重視し質は全く度外視したため、使い物にならない鉄くずが大量に生産された。

農村では「人民公社」が組織されたが、かえって農民の生産意欲を奪い結果的に。
update:2010年02月26日